我が青春の東京自動車エンジン(その1)

あれは、確か1975年(昭和50年)頃のことです。東京自動車エンジンの石橋氏より突然電話を戴きました。
その頃私は、モーターマガジン社という出版社で「ホリデーオート」という雑誌の広告を担当しており、電話と言うのは「ホリデーオートに広告を載せたい」というものでした。
強く興味を持った車好きの私は、通常、広告代理店に連絡をするところを、それをせず自分で出かけて行きました。
そこで石橋社長に初めてお会いし、即座にその人柄に惹かれ、自分自身で担当させて頂くことになりました。
それは、私の人生を変えた瞬間かも知れません。
同社は広告は初めてということで、私は自分の持てる力を力量以上に発揮し、広告をデザインし「ホリデーオート」誌に掲載しました。俗に「エントツ」というタテ1/3ページの小さな広告でしたが、次第に反響を呼び、特に日産のL20系エンジン(スカイライン、Z、セドリック、グロリア)のお客様を中心に、沢山のお客様がお見えになり予約制にせざるを得なくなるほどになりました。
人気の秘密はいろいろありましたが、それは次回に書きましょう。